【今日は少し告白させてください・・・】
つぼろぐ管理人
坪井一馬です。
メルマガやTwitterではいつも趣味の写真のアップや、ブログではネット集客やコーチングなどの専門的な話しかしない私ですが、今日は初めてまじめな話をして行きたいと思います。
最後まで読んでいただけるときっとあなたのお役に立つと思います。
私は現在、ちょうど(2019年時点)41歳。
昭和53年の8月29日となります。
若い頃はITベンチャーで創業期のメンバーとして、あれよあれよと出世していきました。
年収は2000万円を超え、この世の春を謳歌していたと思い込んでいた時期でした。
よく若い頃の成功は不幸のはじまりと言われますが、まさに当時の私は不幸の泥沼に足を取られ始めていた時期でした。
若い頃特有のがむしゃらさと、猪突猛進さ、仕事で結果を出すたびにポジションも収入も部下も増えて行く。
自分が特別な存在だと思い込み、自分にとって「使えそうか?」「使えなさそか?」でしか人を判断できないような最低の人間でした。
ここまで書いていても、当時の私の傲慢さや井の中の蛙状態には辟易として行きますね。
転落の日々
転落の日々
当然、こんな傲慢で人の心を顧みないような人間がわが世の春を謳歌できることなどありえません
所詮は人のふんどしで相撲を取っていただけのとるにたらない傲慢な若造が行きつく先はただひとつ。
人員を引き連れて自らの会社を立ち上げようとしていた私はその話をリークされ解雇。分が悪くなってからは、50人もいた部下のだれひとり私のことなど知らぬ存ぜぬ。
その時はじめて私は、自分には人望が全くなく、地位やお金だけの関係性しか築けていない事に気付きました。
ただ、仕事の実績からすぐに転職後は上場企業の経営戦略室へ。
でも、給料は3分の1ほどになり、なによりも自分の裁量が全く働かない会社になじむことは出来ずに半年で退社。
そこからは、いまでいう仮装通貨の走りのような FXに手を出し、なけなしの貯蓄は乱高下。
精神が持たずに、日雇い労働や牛丼屋でのバイト、せどりを行うも雀の涙ほどの収入。。。
当時、7年付き合い結婚を約束していた彼女とも私の甲斐性のなさに三下り半を付けられ・・・
解雇されてから2年間で地位もプライドも名誉も彼女も住む家も自分自身が持てるものがことごとく去っていった日々でした。
FXで得たなけなしの貯金だけは減らさないように、実家に出戻り家賃を浮かしていたニート状態へ。
泣きっ面に蜂
泣きっ面に蜂
泣きっ面に蜂は本当に来るもので、不謹慎ですが、東日本大震災の時もFXをしていたのですが、尋常じゃない乱高下で当時のFXで得た利益700万円を2週間で溶かす事に・・・
結局、自分は何をやってもだめなんだと、心はほとんど燃え尽きてしまいました。
もう、死のう。
人生をあきらめて楽になろう。
命をリセットしようとを決意したのが、33歳の時でした。
生きていてもつらいだけ死んだら救われるその思いだけにしがみつき、死に場所を探していた時です。
当時、池袋の大型書店で自殺の仕方の本を物色していた時になぜか気になったコーチングの本に目が行き手に取ったのです。
断言出来ます。
あの時に書店に行って、コーチングの本に出会わなければ私の人生はその時に終焉を迎えていました。
私がこうしてブログを書いているのもあの日にコーチングの本に出会わなければありえない話なんですよね。
つくづく人生は不思議だなと思います。
では、なぜコーチングの本を手に取ったのか?
なぜ本を手に取ったのか?
それはベンチャー企業で人事をやっていた時にさかのぼります。
2000年代前半に私はこれからの人材育成の方法という意味でコーチングに目を付けていたのです。
でも、当時は話を聞くだけで人が根底から変わる事に懐疑的だった事もあり、そこからは記憶の端から抜け落ちていました。
そんな光景がフラッシュバックのようによみがえったんでしょうね。
気が付いたらコーチングの本を手に取っていました。
それまで人を変えて行くというのは自己啓発の一部くらいにしか思っていませんでした。
でも、書籍を読み進めるうちに私は内面世界に深く携わるコーチングの世界に夢中になっていったのです。
なによりも、自分自身に人間的価値がまったくないと本気で思っていた自分にも無限の可能性と叡智が備わっているという事に、自分という存在自体が初めて認められたような気がして人前にも関わらず泣き崩れてしまいました。
立ち読みにも関わらず・・・
人生の転換点
人生の転換点
私は大学時代から心理を学び続けていましたし、仕事でも人を動かすために心理学のノウハウをそれまでにも十数年に渡り学び続けていました。
でも、人を動かす事を目的に心理学を活用してもテクニックの範囲は出ないんですよね。
テクニックの一例ですが、
- 初対面の時はマウントをとるために自分から握手を差し出す
- 初対面の印象はその先ずっと焼き付くため、ファッションや見た目に力を入れる
- 相手の信頼を得るために自己開示を自分からする
こういうテクニックを大学時代から学び続けていたからITベンチャーでは出世をしていけたのです。
でも、自分のメッキがぼろぼろと剥がれ、挫折に挫折を重ね続けて生きて行く自信も価値もないと悟った私にもはや人心掌握テクニックは何も役立つものではありませんでした。
早く楽になりたいと思っていたはずが、『自分は何も持たなくても生きているだけで価値があるのかも?』とその本の力で心にぬくもりを与えてもらったことが私の人生の大きな転換点でした。
もはや、自らの人生を閉じたいという想いは梅雨晴れのように私の心から去って行きました。
善は急げ
善は急げ
早速、コーチングのワークショップを探し、申込みを済ませました・・・
はじめて行ったコーチングのワークショップは20名ほどの方が集まっていたと思います。
驚いたのが、40~60代の方が多かったことでした。大企業のお偉いさんも多く、堅苦しい雰囲気に私は場違い感を覚えました。
でも、ワークショップが始まり、みんなが心の奥深くを内省すればするほど、しかめっ面をしていた人たちも笑顔で自らの内面を語り出しましたし、私もとっても楽しくなり、初対面の人の前で今迄の自分の失敗を話す事が出来たんですよね。
いままでの私なら、失敗は恥ずかしいという気持ちが多く、また、自分が下に見られてしまうという恐怖から意気揚々と失敗談を話していくなんてことはしなかったでしょう。
それもこれも、そのワークショップを開催されていたコーチの方のありかたが場に影響を与えていたからだったんですよね。
だんだんと、ありのままの自分をさらけ出せるようになった私はワークの中でコーチにこんな問いかけをしてもらいました。
『かずさんは人生にとって何を成し遂げたいの?』
もはや答えは揺るぎませんでした。
もはや答えは揺るぎませんでした。
私はコーチングによって自分のあり方(being)を見つけた事で人生が劇的に変わりました。
コーチングにはbeingとdoingという言葉があります。
beingとはある事、doingとはする事と表現できます。
beingは心のあり方であり、doingとは行為の結果手に入れるものです。
どちらも大切なのですが、コーチングでは心のあり方であるbeingを重視しています。私はコーチングによって自分が心から望んでいる生き方とも言えるbeingに目覚めていく事ができたのです。
私が残りの人生をすべてかけ、コーチングを広めて行く活動をしていくというあり方(being)を見つけられてからの変化はまるで激流に飲み込まれたかのような体験でした。
さらにその国際的なコーチング会社が行っている『潜在意識と深く向き合い人間力を高めるプログラム』にも参加した私は、コーチングを活用し生計を立てるという熱い想いのみで独立。
とはいえ、順風満帆とはいきません
とはいえ、順風満帆とは行かず
当然、押し寄せる不安や恐怖はありましたし、自分への猜疑心や、バカなことをやってしまったという後悔が心の隙をついて頭によぎって来たものです。
まずは潜在意識に深く携わるコーチとして食べれるようになる事を目標に一心不乱に努力をし続けましたが、貯蓄は減り続け、クライアントはまったく増えず。。。
そうした日々が続く中、ひとつの疑問が頭の中に湧き起って来たのです。
「自分自身が作りたい世界は自分がコーチになるだけでは叶わない。会社組織を作りより多くの人に潜在意識を提供して行く事ではないか?」
ただでさえ、なけなしの貯蓄を切り崩している中、クライアントの獲得もままならない状態にもかかわらず、私は自分の心の声に従い株式会社を起こしてしまったのです。
「自分の心に嘘をつく生き方をするなら死んだ方がましだ!」
と思っていた私にもはや過去のような迷いはありませんでした。
そしてて、300万円の資本金を元手にシードコミュニケーションズ株式会社を設立しました。
しかし、気持ちとは裏腹に出費ばかりがかさみプロコーチの資格が取れた時には資本金も底を尽きかけてしまいました。
それでも、「資本金が尽きたらバイトをすればいい。」、「身体が動かなくなったら気力で這い続ければいい。」、「生きながらに死んでいたあの頃に戻る事だけは絶対に避けたい。」という思いを糧に日々自分に鞭を打ち続けていました。
そんな時でも、私の伴走者であるコーチは私の選択を心から信じ続けてくれました。
近しい人や友人が心配したり、反対したりする中、自分の可能性と未来を信じ続け関わり続けてくれたコーチがいた事が当時の自分にとってどれほど心強かった事か。
現実もうまくいかず・・・
現実もうまくいかず
けれども、コーチを始めたばかりの私にはまったくクライアントができませんでした。
友人や知人に声をかけるも、無反応。フェイスブックの友達にクライアント募集をかけてもブロックが増えるありさま。
モチベーションは高くても、ビジネスがまったくうまくいく事はありませんでした。
「何がだめなんだろう?」ともがいている時にネットで出会ったのが、ワードプレスブログで集客する方法だったのです。
私がコーチになったばかりの頃は、ブログで集客をしているコーチはたくさんいました。どの人たちも口をそろえていうのが、ブログでの集客をやめた方がいいという事でした。
当時のコーチたちはアメブロなどの無料ブログをやっていたのですが、何年とやってもそこからクライアントの依頼はなかったそうです。
私は仲間内からその話を聞いていたので、ブログにはまったくといって興味がありませんでした。
でも、ネットサーフィンをしている時に目がとまったブログでは、アメブロではなく検索エンジンに上位表示される可能性が高いワードプレスを使うべきだと書いてあったのです。
ワードプレストの出会い
ワードプレスとの出会い
書いてある内容は、検索エンジン対策というやり方を覚えれば、「狙ったキーワード」で上位表示をしていく事ができるようになるという事でした。
当時の私は、必要な無い人にいくらコーチングをごり押ししてもまったく反応がないという事はいやというほど分かっていました。でも、コーチングを潜在的に必要としている人であれば、興味は持ってくれる可能性が高いと思ったのです。
私自身、検索によってコーチングに出会ったのですから、検索エンジンで「狙ったキーワード」で上位表示できるようになれば必ずクライアントに出会えると感じたのです。
私はワードプレスに賭けてみる事にしたのです。
ワードプレスは簡単ではなかった
ワードプレスは簡単ではなかった
ワードプレスをゼロから行おうとしていた私はワードプレスの難しさに度肝を抜かれました。想像以上に難しかったのです。
ブログなんて記事をかけばいいと思っていた私にワードプレスの洗礼は強烈でした。ワードプレスはまず、専用のドメインを取得し、サーバーを借り、テーマをインストールし、プラグインを導入していく必要があるという事でした。
もはや、日本語なのか?なんなのか?言葉の難しさからしてノックアウト寸前でした。
そうこうして、ようやく私がワードプレスを導入し初めての記事を書くまでに3ヶ月の時間を浪費していたのです。
苦難はそれだけではありませんでした。
ワードプレスで記事を書いてもまったく見られない
記事を書いてもまったく見られない
ワードプレスにがむしゃらに記事を書き続けていってまたもや3ヶ月。
その間、人が訪れるのは1日2~3人。
1記事6000字の記事を1日2記事以上書き続けているのに、うんともすんとも反応がなかったんです。
努力がまったく実らない日々が延々と続いていったのです。
この時期がもっともしんどい時期でした。ワードプレスは最初はまったく人が訪れないという事は知っていたのですが、まさかここまで人が訪れないものだとは・・・
相当こたえた時期でした。それでも、コーチがいた事によって自らの歩みを止める事はありませんでした。
今の私は3つのブログを作り上げているため、当然だと思える事でも、先が見えなかった当時の私にはとてもしんどかったのです。
簡単に稼げるは詐欺師のささやき
簡単に稼げるは詐欺師のささやき
そんな厳しい日々を耐えた事が、今の自分につながっているのだと胸を張って言えるからこそ、ネットビジネスで簡単に稼げると謳っている詐欺師たちが許せないのです。
ネット上の詐欺師たちのように、ネットビジネスで簡単に稼ぐには人をだましていく必要があります。
なぜなら、簡単に稼げるといっている詐欺師たちしか、稼ぐ事ができないシステムなのですから。
人をだませば稼げるようなビジネスをしている人間たちに対して、僕はこらえようのない怒りを感じます。
詐欺師たちの簡単に稼げるという言葉にだまされた先には、搾取され続けるか、自分も詐欺師になるかの2択しかありません。
努力の先にあるもの
努力の先にあるもの
努力無くしてビジネスの成功はありません。だから、簡単にもうける事ができるというような詐欺師の言葉に、あなたには引っかからないで頂きたいのです。
今だからこそ言えるのですが、ネットビジネスでは努力をした先には必ず成功が待ち構えています。
かつては閑古鳥がないていた私のコーチングのブログも1年後には月間10万人に見られるサイトに育ち、そこから3年で累計600万人に見られるサイトに大化けしていったのです。
努力は決して無駄にはならないのだという事を、ネットビジネスを通して私は体感したのです。
また、今の私はサイトを複数保有していますが、そのどれもが短期間での結果はほとんどありませんでしたが、中長期にわたって大きくビジネスに貢献してくれてます。
起業で手に入れたもの
起業で手に入れたもの
私は清水の舞台から飛び降りつもりで起業をしました。
ほぼ全てを手放したからこそ、引き戻す事などできない状態だったのです。
でも、そんな状態だったからこそ、生きるために自分自身の中にある潜在能力がフル回転していたのだと思います。
私がブログに出会ったのもたまたまですか、ブログを書き続ける忍耐力を発揮し続けられたのも、背水の陣だったからです。
けれども、そんな後先考えない行動が今に通じていたんだなと思うととても感慨深いものがあります。
人は過去のパターンを手放す事で未来を手に入れられる
人は未来を手に入れられる
U理論という本には、人は過去のパターンを全て手放す事で初めてクリエイティブな未来の種を受け取る事が出来るのだと書かれています。
当時の私は文字通り全てを手放す事で未来の種を手に入れていたのだと思います。
そして、全てを手放してからの私にはまるで勝利の女神が微笑み続けてくれているように一気に活路が開けて来ました。
今まで書き続けて来たブログから体験コーチングの申し込みが相次いだり、私の想いに賛同してくれるコーチがひとり、またひとりと現れたり、ほかに業務提携する人々とのつながりが実を結んだりといった事が毎日のように起こって来るようになりました。
シンクロニシティという本では人が意図を持って行動すると、不思議と意味のある偶然が自分を助けてくれるようになると書いてあったのですが、まさか自分の身にこのような事が起こり続けるとは夢にも思いませんでした。
まさにシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起こり、私の人生は好転して行ったのです。
シンクロニシティ
今ではクライアントにも恵まれ、ネット集客の専門家としても活動をする事ができるようになっていきました。
3年の間に、瞬く間に事業が加速して行ったのです。
おかげさまで現在は仕事もプライベートも順風満帆です。
とても素晴らしい婚約者にもめぐまれました。
当時、想像していたコーチとして生計を立てるという未来よりもはるかに素晴らしい未来を私は創造していたのです。
自分のあり方と向き合う事で私の人生は大きく変わっていったのです。
メルマガやブログを通して、私のコーチとしての知識とネットビジネスの専門家としての知識を必要としてくれる方がとても増えてきたため、ならば自分が人生を逆転できた私のノウハウや経験をネットで無料で公開したらどうだろう?
そんなふうに思ったのです。
私は人生を変えていきたいという方にエールを送りたいのです。
エールを送ります
「お互い頑張ろうぜ!俺たちまだまだいけるぞ! 」って。
だからこそ、ブログを通して私のもっている情報をあますところなく公開したいのです。
もちろんタダです。
まったくの無料で。
こんな事でお金をいただこうなんて思いません。
ただ以前の私と同じように毎日の生活を悶々とした思いで過ごしている方のために少しでも役に立ててもらいたい。
そう思います。
どう思いますか?賛同してくれるでしょうか?
今後はブログだけでなく、メルマガや無料の動画セミナーを通して、私のもっているすべての知識や技能をまるっと公開しようと思います。
かつての私と同じように人生を悩んでいる方にむけて最後にメッセージがあります。
お互い頑張ろう!
経歴
シードコミュニケーションズ株式会社 代表取締役 坪井一馬つぼろぐ管理人 趣味は瞑想と一眼レフ。コーチングの集客から始めたブログにのめり込み、いつの頃からか、コーチとネット集客の専門家という2足のわらじを履く事に。 現在は、複数のメディアを保持し、自身のネット集客を行う傍ら、起業していきたいという方に対して、ネット集客の仕組み作りのコンサルや、セルフブランディングを作っていくためのコーチングを提供する、自分ブランド創造コーチとして活動中。 ネットで簡単に稼げるなどと謳っている情報商材系の詐欺師を撲滅するために、ネット集客の全てを無料で公開するTSUBOLOGを運営中。 【保有資格等】
【著書】
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